認知症予防の基本

認知症の体験談

身近であった認知症の体験談【28歳女性のケース】


私は28歳の主婦です。
私は今まで何度か認知症の方と接する機会を持ってきました。

それはいずれも血がつながった祖父です。 一人目は父方の祖父。 祖父は祖母と2人暮らしをしていて、パーキンソン病を患っていました。

寝たきりになってしまった頃に、認知症がどんどん進行して、自分の子供や孫のことがわからなくなりました。それは未だ良かったのですが、だんだんと祖母に暴言を吐くようになってしまいました。

身体が動かないので、ずっとベッドの上にいますが、手の届く範囲で何か物を布団に隠しては、それを祖母のせいにします。

あれがない、これがない、お金を盗んだ、お前のせいだ、、、と汚い言葉で祖母をののしり、怒鳴ります。 優しかったおじいちゃんなのに、その変化に私はびっくりしました。

2人目は母方の祖父です。こちらは祖母と長男家族と敷地内同居をしていました。 母方の祖父は足腰は丈夫で、飲んでいる薬はありましたが寝たきりというようなことはありませんでした。

そのため、いろいろなことがわからなくなってくると、徘徊が始まったのです。 基本的には自宅で過ごす祖父でしたが、夜になると家を抜け出し、どこかへ行ってしまうのです。それも裸足で。 家族総出で近所中を探しまわったり、それはそれは大変でした。

またあるときは、夜中に祖父が家中の水道の水を出すという行為にでました。洗面所、台所、お風呂場、すべてです。古い家でしたので排水が追いつかず大慌てで水を止めたり拭いたりしていると、その隙に祖父はまたどこかへ出て行ってしまいました。

身体が弱っては居なかったため、祖母一人ではどうすることも出来ず、日中は長男夫婦も仕事があるため面倒を見れる状況ではなくなってきて、祖父は老人ホームに入所することになりました。

その頃には、私の姿を見ても反応すらしませんでした。 そして、いずれ歩けなくなり、食事もままならなくなりました。

どちらも私の断片的な体験談ですが、認知症の恐ろしさと悲しさを目の当たりにした体験でした。老いることは仕方の無いことですが、家族の辛さは計り知れません。

老いる


身近であった認知症の体験談【49歳男性のケース】


私は、49歳の会社員です。
今日は認知症を患った母のことを書かせていただきます。

母は、現在77歳で4年ほど前から認知症の症状が現れ始めました。

最初の頃は、なにかトンチンカンなことを言うようになってきたな、とまあ、一般的な老化のせいかなと思っていたのですが、そのうちお金も持たずに外出しては近所の飲食店へ行き食事をしたり、商店で買い物をしようとしたりするようになってしまったのです。

ただお店の人との会話は、かなりきちんとしていてお店の人もうっかり財布を忘れてきたんだなくらいにしか思っていなかったようです。

日中は、私が仕事で家にはいられないので家内が母をみていたのですが、玄関の鍵をかけておいても少し目を離すと鍵をあけてどこかへ行ってしまうのです。

それで、これは一度お医者様に見ていただいた方がいいと言うことで、自宅のあたりでは認知症については有名な病院で見ていただいたところアルツハイマー型認知症という診断でした。

以来、わたしは出社時間をずらして早出、早上がりにしていただき、ぎりぎりまで業務時間を減らしてなるべく家にいられる時間を増やたり、また母が外に出にくいように母の部屋の窓の鍵を2重にする、玄関にも高い位置に内鍵を着けるなどしたりして、母が自分で外出できにくいように工夫をしたりして、すこしでも家内の負担を減らせるように努力をしました。

結果的に、母が勝手にいなくなってしまうことはかなり減ったのですが、そのかわり自分が閉じ込められていると家内に訴えるようになり、それはひどいいいようになってしまい却って家内の負担を増やす結果になってしまいました。

また、たまに夕方など娘が帰ってくるのに合わせて玄関の内鍵を開けていたタイミングで外に出てしまうことなどがありその際には外出できる機会が減ったせいか、それまでに比べて遠出してしまうようになってしまったのです。

あるときには、電車を乗り継いでかなり遠方で発見されたと警察から連絡があったり、また私の家は小一時間歩くと山道に入っていけてしまうのですが、山の中腹あたりでたまたま作業に行っていた知人の方が見つけてくださり連絡いただき連れて帰ってきてくださったこともありました。

そして、ついに3ヶ月ほど前ですが翌朝になるまで発見されず、15時間ほどたってようやく発見されるという事態までいってしまいました。 GPSを服に縫い付けるなど工夫したこともあったのですが、なかなか出て行ってしまうときにその服を着て行ってくれるわけでもなくたいへん困った状態です。

これ以上、よくはなる見込みもなさそうなので困っていますが、最近ではわたしの休みの日には長めに散歩にいっしょに出かけるようにしたり、平日も早朝いっしょに散歩に行くようにしたりしました。

すると、いくらか勝手に徘徊することも減ってきたような気がしていますし、これをきっかけにすこしでもいいのでよくなってくれはしないものか望みはうすいですがそのように思っております。

以上が簡単ではありましたが、母の認知症と接してきた体験談です。

老いる


身近であった認知症の体験談【46歳女性のケース】


現在、46歳の女性、今は両親と子どもと平穏に過ごしつつ、ライターをしていますが、時々随分と平穏になったなあ、と思うのです。

以下はそんな私の身近であった認知症体験談です。
それは約10年前のこと、我が家の家族構成は認知症の80代の祖母、隠居した60代の両親に、子ども(乳児)というややこしい家でありました。 今にして思えば、祖母の認知症のきっかけは、私が嫁に出る=不在、と両親の隠居が同時に重なったせいだと思うのです。

それまでは、不在の両親、ニートな孫のカバーを日中するのが祖母の責任でした。 口癖は「ぼけてはいかんね~迷惑をかけんようにせんとね~」でした。 そして嫁に行き、しばらくしてから、何となく祖母がぼけてきたようだという両親からの報告、確かに何かが記憶や、論理的に何かを理解することが怪しい感じでしたが、あまりすることない老人として、のんびり暮らしていたように見えます。

その後、子どもと共に出戻り、おかしいなと思ってから5年後、その頃には認知症が悪化しておりました。 元々「世話され好き」な人であったので、あまり面倒を見られることに抵抗がなかったのが幸いでしたが、言うことが通じない、食事となれば骨ごと食べる、そして仏壇に線香をあげ、ぼやを出す、排せつ物がいろいろな所にあるなど、各種問題行動が増え、両親の心はすさみつつありました。

夜中に家の中をる歩き回るため、風呂や玄関などには手の届かない位置に、チェーンを付け、鍵をしておりました。 そうすると、家族間でどうでもいい諍いが増えてくるのです。 しかも「だいたいあの時は・・」という感じですね。

また実際に面倒を見ていたのは嫁である母、1人疲労が溜まり、しかし私は中途半端にどう手出しをしてらかいいのか解らず、また育児もあったため・・結局家族全員心の底で「祖母さえいなければ」という思いになってしまったのです。 認知症の怖さは、こうして家族のバランスが崩され、元々抱えていた不満が、生活全体が荒むことで、表に出てきたりすることだと今でも感じます。

物理的なことより、祖母の存在が精神的に疲れるという理由で、デイサービスを利用、多少自体は軽減しました。

本人は外で人と関わるのは、元々好きではなかったのですが「気持ちのいいお風呂」に入れるということで、割とご機嫌だった点も、家族のうしろめたさを消す1つの理由でもありました。 しかし、徐々に寝たきりに近づき、こうなると心身共に家族の手が回らなくなるのです。というときに、たまたま祖母が病気入院、病気療養がてら介護施設に一時入居、結局そのまま亡くなりました。

今となっては認知症の在宅介護の時間は、後半の5年弱、しかも本人は性格もあって、暴力や外の徘徊はほぼなく、世話をされることも好きでした。 「もう少し何かなったかも」と今では言えますが、当時はやはりそうは思えないもの、ただし、1つの問題が家族のバランスを崩すということを知っていれば、おそらく次からは、かなりマシになるような気がします。

1人朗らかに介護をしていれば、それだけで家の雰囲気が変わり、楽になるような気がするからです。


→あなたの身近の認知症の体験談の続きを読む


ボケ防止にサプリメントが効く